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麻雀のリテラシー  デジタルとオカルト

麻雀というゲーム、プレイしてる人間が非常に態度の悪い人間の多いゲームだと思います
賭博としてのイメージが強く、半社会性を帯びているというのが一端を持ちますが
それは兎も角として、麻雀を打つ上で最低限知ったほうがいい常識があります

・デジタルとオカルト
牌山の組み合わせの総数は、


43269839174284726381013830503374213188258988001402
79809429117995909720365098503388909186259061603322
46611492154251485203537706583203911528927630102575
646500000000000000000000000000000000


です。

4×10の185乗以上です。
一生麻雀を打っていても0.0001%すらの組み合わせを見ることがありません
場の総数も含めればこれより遥かに大きくなります
オカルト思考で「数理的にはおかしなこと」を信仰するのは勝手です
当然、オカルトと場の状態が合致すると「より合理的な打ち方より」成果を上げることもできます

ですが、その理論がこの膨大な組み合わせの前では
雀の涙ですらないことを理解しなければなりませんし
いくら短いスパンの中で良い結果を残していても
その打ち方が優れていることの証明にはなりません
ですから、オカルトがデジタルを馬鹿にするのは愚かなことであると言えます。


また、デジタルは数理的な打ち方として有名ですが
そもそもほとんどの人間には麻雀を完全に数理的にできる脳みそがありません
よってオカルトに毛が生えたようなものになります
世間で言うデジタルも期待値計算・山予測・手牌予測などまではしてないです

ですから、デジタルの人間がオカルトの人間を馬鹿にするのも大変愚かであるといえます。
人の打ち方にとやかく言ってないで自分の麻雀をしましょう。






・最後に

人の打ち方にとやかく言う人間が麻雀うまかった試しがない




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現実と鬱

鬱傾向にある人間は、「精神的な意味での自傷行為」をします。

人間の倫理や理想の大凡すべては、現実そのものに対して合理性が無く、
自分の理想をほとんど満たせなかった人間は「現実を見る」ことになります

しかし、現実には理想に向けてもう一度努力をしようと思う様な、破片は探していても落ちていません
ラカン精神分析で言うところの狂気は現実にあり、理想に狂気は内包されません。
ですから、現実に触れている人間ほど「まっとうな人間」からは遠ざかっていくように見えます。

これがそのまま「満たされない承認欲求」に繋がります。
現実に深く触れた人間は「世界への不信感」を抱きます。
言い換えればこれは、「承認欲求を満たす為のものへの不信」ですから、
真なる意味でこの欲求は満たされることがありません。
よって、理想は体現することが叶いません。
もっと、根幹的な現実との隔絶が必要になります。

それは大体末期になれば、自から為されます。
「別の人格を作る」「記憶の遁走」等の本来意図されない、
精神の状態でこれを乗り切ろうとします。

ほとんどの人間はこの過程まで至らず、世界に不審感を募らせ、
やるせない世の中を適当に生きます。

私もやるせないです。









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あ、リンクフリーだから勝手にどうぞなのだよ!!

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